アルツ社長 ヒトサマの食すモノにイチャモンをつける、ということ。ムツカシイ…。 「死ね死ね!」シー・シェパード編 |
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/100308/tnr1003081335010-n1.htm より・・・
なんでも捕鯨を面白おかしく、事実とは異なる内容を盛り込んだ映画がアカデミー賞を受賞したそうな。何でも映画中での漁師は「“賢くてかわいい人間の友達のイルカ”を密漁している“極悪なJAPANマフィア”」って描かれ方をしてるらしい。そんな内容の物が権威ある賞のドキュメンタリー部門を受賞しちまうってのが、またくだらない。ヒトサマの食す物について、ただ悪い事としか捉えず、一方的な味付けをされたものが受賞しちゃってもいいものなのかねえ?情報と言うモノは恐ろしいモノで、「伝える側の味付け次第では実体とは異なる内容に仕上がってしまう」一面がある。
そもそも、西洋の野蛮人共はいろんな肉を食している。自分達が牛・豚・羊・鴨・ウサギの肉を食ってんのはどう説明するのかねぇ。「オレ達は食ってねーよ!!」って言うかも知れんが、ならばわざわざ他国の人間に文句を言う前に自分の国の実態を把握し、それらを解決した後にしてからでいいんじゃないか、と言いたい。自国の習慣は伝統ある文化と認めても、他国の文化は野蛮と批判しかできない場合。うむ、実に幼稚な主張だと思いますがね。
また、一部の牛=カミサマの生き物って言うヒンズーな人々、豚が不浄な生き物として食べることを良しとしないターバンが似合う宗教の方々とか。日本における鯨類を食べると言う習慣も当然そういった一つの文化と捉えられて然るべきだと思うのだが。
また、一部の人間は肉類を食べず、野菜類のみを食べる(まぁ、俗に言うベジタリアン)と言った人間も少なからず存在する。まぁ、菜食主義者にも色々いるだろう。「動物を殺すのは残酷だから食べない」、「精が付く物を食べるのは修行の妨げになる」、「過剰な肉類の摂取は健康を悪化させるから食わん」など(これだけではないだろうが)様々なタイプに分類できる。3つ目は「医者から制限されてるなら仕方ないわな」ってことで済ませてやってもいいが、最初の2つの考え方を持つ人間については個人的には軽蔑する。まずは、「精が付く物を食べるのは修行の妨げになる」って主張する坊主共。反対に聞きたい。「肉を食ったり酒を呑んだりしただけで崩れ去る“悟りとやら”に何か意味はあるんですか?」と(皮肉)。「動物を殺すのは残酷だから食べない」っていう論外なバカ人間共には「貴様らは“動物だけが生物”だと思ってるのか?」、「植物も立派な命ではないのか?苦痛を訴えない植物なら食してもいいのか?そう言った浅はかな考え方こそが自然破壊を招いているのではないか?」とも言いたい。そして最後に挑発用の余計なひと言、「早く多くの命を救う手段がある。アンタがまず断食して死ぬことだ」と(皮肉)。
だが、色々文句言っといて、反対に自分たちはどうなのか?とも思わされる一面もある。中国などには犬や猫を食べる習慣があるというし(実際、チャウチャウ等の犬種は食肉用として育てられていた、とも言う)、極端な例では、昔、東南アジアのとある地域には、部族外の人間を狩りの対象とし人肉を食す「首狩族」という種族もいた(らしい)。もし、そう言った人々が自分に対し「自分達は色々好き勝手に肉を食ってるのに、我々の食文化を認めようとしないのはおかしい。思い込みが過ぎている」。そう追及された場合、それを容認出来るだろうか・・・?そして、容認できない場合、欧米人共が「捕鯨をやめよ」と叫ぶのをおかしいと発言する権利はあるのだろうか・・・?個人的には家で犬飼ってるし、自分は食べたいとは思わないが、「犬・猫」を食すこと自体は文化と容認できるし、そう言った文化があってもいいと思う。だが、人間を食す事については「それはさすがに・・・」と感じてしまう。結局は自分も無意識のうちに一線を引いて、ある文化を認めようとしていないのではないか、と。
果たしてワシはこの問題について語る資格はあるのか?……ぬうぅ。頭痛くなってきた(苦笑)。もう寝よう。 |
2010年3月8日 (月)
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